愛してね、もっと

今週はいつにも増して忙しい。自分の時間が殆ど持てないし、さらには眠れなくていつも午前3時くらいまで起きている。おお、この病める心の環状線を、いまボクはチャーリーズエンジェルフルスロットルって感じで走り去っている。走っているよ!(つまりルーシー流)

それにしても、やらねばいけない事が増えると、なぜ人は逆にやる気を削がれるのであろうか。働かなければ、それはそれで将来に不安を覚えるのに、働くと急に何もかも嫌になる。自分は社屋の窓に目を遣った。すると、眼下には幼稚園のお迎えであろうか、ママさんたちが子供を引率して歩く様が見えた。手を引かれた子供は無邪気にはしゃいでいる。自分は心の中で、一人くらい育児に嫌気がさしたノイローゼの若妻がいるのではないかと思う。いや願う。

それにしても子供って希望に満ち溢れているなぁ、なんつってしみじみ思いながら、自分はセブンイレブンで買い求めた白滝を啜った。もうアレは、ほら、存在そのものが希望と言えるだろうね。
でも、それに引き換えオレと来たら・・・と自嘲気味に鏡を見たとき、オレは恐ろしさのあまりに白滝を咥えたまま凝固した。閃いた。垂らした白滝。それが微かに震えた。そう、そうなのだ!そうなのである。子供のあのポジティヴさ。もしかすると、いや間違いなかろうが、子供という生物は、如月をはじめとした世の成人のやる気を吸い取り、それを養分にして妊婦の腹でぬくぬくと育ち、しかるべき準備期間を経た後に、まるで火星からやって来たジギーの如く生れ落ちるのではなかろうか。

如月のやる気がなくなって、ポンッ。如月のやる気がなくなって、ポンッ・・・である。そう考えると、自分は今週に入って、物凄い倦怠感と睡魔に襲われているのだけれども、それもどこかで、赤ん坊がポンッと生まれてきた証拠なのだ。本来は高かったはずのオレのやる気を吸い取った子供が生まれてきたはずなのだ。

そしてさらに恐ろしいのは、このダルさからすると、そいつはかなりの肥満児に違いない。違いないのである。